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9月18日
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民主党「小沢の乱」は乱を起こした小沢氏の敗北で終わり、まずは良かったと思います。(取り巻きの質の悪さも判明しましたし)

さて、改めて総理大臣となった菅さんの前には難題が山積みです。問題が多すぎて、多くの点でつまづき、先延ばしになることもありましょう。

今週、もう政治の話題は避けようと思っていました。でも、偉そうで済みませんが最後に一言だけネット上に発信しておきたいと思います。

 

これから菅総理とその閣僚チームが直面する問題を、もし国民が菅総理や民主党(菅陣営)だけの問題として捉えてしまう限り、

日本は延々と首相の首や政党を挿げ替え続けることの繰り返しとなり、不毛な消耗を続ける空白の時間を延ばすことになる、と思います。

 

私は数年前、太平洋戦争関連の本を何冊か読みましたが、その中で

伊丹万作さんの言葉を元に語り合った佐高信さんと魚住昭さんの対談「だまされることの責任」という本が印象に残っています。

アメリカとの戦争は日本が仕掛けたものでしたが、アメリカの科学・工業・経済力を甘くみたために緒戦のいくらかの戦闘以外は

ほとんど勝負にならないくらい徹底的に叩かれ、被害ばかりが大きく目立つ結果となり、

私たち国民の多くの中には、自分たちは無謀な戦争をおこした軍部の被害者にすぎなかった、という意識が強くあるように思えます。

 

しかし、国民は本当にただの被害者だったのでしょうか?日中戦争を始め、アジアでの快進撃では軍部を讃え、

勝ち戦に乗るために戦争を推進する役割を担っていなかったと断言できるでしょうか。

 

私たちは、戦後の右肩上がりの経済成長に酔い、自民党の公共事業の乱発を讃え、政治家の惰性を許してきたのではないでしょうか。

しかも、戦時中は参謀本部人員など上層部の人員は選べませんでしたが、戦後の政治家たちは選挙で選ばれた人たちです。

それが結果として負け戦になったとたんに責任を敗戦処理を行おうとするトップに押し付け、自分たちは被害者だったと主張して

トップに過度な期待と失望を繰り返して、首を挿げ替え続けることで溜飲を下げてはいないでしょうか。

 

鳩山さんに問題がなかったというつもりはありませんが、鳩山政権の最後は、日本の行き詰まった現状の責任が全て鳩山さんのせいだと

言わんばかりの世論が形成されていた感じがします。

あれと同じようなことをこれから何年も繰り返すのはあまりに不毛だと思います。

 

日本が抱える多くの問題からは、日本国民の成熟が求められているのではないでしょうか。

問題の根幹を見据えて解決にむかって取り組んでいる政治家は誰か、ただ権力や地位を獲得するために同胞の足を引っ張るのは誰か。

国民が正当な評価を政治家に与えることができれば、政治家はもっといい仕事をすると思いますし、それができない政治家ならば

一市民に退いてもらうべきでしょう。

私を始め、国民にその眼力があるかどうか。そうした眼で今後の世論と政局をみつめていきたいと思います。